カジュアルしゃかい学
ものごとの是非を語るより、議論の交通整理を試みたい。世の中どうもかみ合わない、ポイントのずれた議論が多すぎるように思うので。
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ララオさん

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1947年生まれ 公立中学校教員 50年来の千葉ロッテマリーンズ(元毎日オリオンズ)ファン

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アンチ東京、新旧交代 (その1)
<パソコンのトラブルでしばらく記事が書けませんでした。今まで読んでいただき、またページを開いていただいた方申しわけありません。パソコンを購入し、ブログ再開です>
 今阪神球団は深刻です。日本シリーズで惨敗したから? いえ。では村上ファンドに大量の株式を持たれたから? いえ、それも違います。阪神の深刻なピンチは「巨人の威光の衰え」にあります。原監督が返り咲き、一時的な息の吹き返しはあるかも知れませんが、戦力の低下はすぐには回復せず、人気の点でもかつての隆盛は望めそうにありません。 そこで困るのが阪神です。阪神の人気の基はその古さにもありますが、主には、巨人と常時対峙できる関西唯一の球団という点にあります。そこには首都をもっていかれた大阪や京都の東京に対する怨念があるのです。また東京を権力の象徴ととらえることから、庶民の中に潜在する反権力の感性がマッチして、アンチ権力、アンチ東京、アンチ巨人イコール阪神がんばれ!になったものと思われます。
 さて、その巨人が低迷し、それが続くとすれば阪神はその存在価値を失ってしまうのです。よく阪神の御用解説者が「巨人が強くなければ面白くない」と述べていることに阪神の相対的な立場がよく表われています。しかも罪があるのはこの構図(巨人阪神対決)がプロ野球人気の根本だという古き事大主義にしばられていることにあります。
 でももうこういう構図でアンチ東京、アンチ権力のカタルシスを得るのはやめる時期に来ているのではないでしょうか。アンチ東京はもっと本気で、もっと大きな仕掛けで打って出る必要があると思うのです。
 その点については次回に。

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バレンタインがこだわる部下の自尊心
 千葉ロッテが優勝した。プロフィルにあるように50年来のファンである筆者としては、まだ実感がわかないほどの深い喜びである。ソフトバンクとの第3戦、優勝目前の4点差を、押さえのエース小林雅英が打たれて逆転負けし、第4戦の負けと合わせて流れは明らかにソフトバンクにあっただけに
よくまあがんばったものだ。
 最終戦の9回、今度は1点差リードでやはり小林雅英をバレンタイン監督は投入した。評論家の中には、それを無謀と非難した人も多かったのではないか。テレビ解説していた野村克也氏もその一人だ。確かにこの状況で再び彼を使うのは、確率的には得策ではなかったようにも思う。しかしバレンタインは躊躇することもなかった。彼が重んじたのは部下である選手の自尊心である。もしかすると優勝よりもそれを優先したのではないかとさえ考えてしまう。ペナントレース中の采配からもそうした精神がうかがえるからだ。
 優勝に加え、この小林雅英起用で勝ったことが喜びを増幅させる。翻って近頃の企業の上司はどうだろう。競争激化の中で、部下の自尊心をズタズタにすることが、有能で成果をを上げる上司像だと誤解している人が増えている。また公務員にもその流れが来ている。
 自尊心を重んじられたロッテの選手が能力を十分発揮し、チームワークも良かったことを管理的立場の人は参考にすべきだ。働く者としての誇りをないがしろにする会社からよい商品が生み出されるはずがない。
場外日本シリーズ「阪神対純粋資本主義」
 村上・堀江・三木谷・小泉・竹中・・。これらの面々の共通点をおわかりだろうか。日本に資本主義が誕生して100年あまりだが、これまでは資本主義とはいうものの、政府が経済・金融に大幅に関与したり、経営者も株式を同族や関連グループで談合的に持ち合いするなど、あまり純粋な資本主義経済とはいえなかった。
 したがって、国民も資本主義の明暗の暗の部分、つまりシビアな面をあまり意識してこなかった。とくに戦後は国際競争で勝ち続ける中、それを意識する必要もなかったのである。
 しかしそうした体質が、経済活動の中で公正さと活力を欠き、国際競争力を低下させるとして規制緩和が叫ばれ、本来の資本主義のしくみに戻すことを冒頭の人たちは主張する。その主張に対する既成勢力(阪神・フジテレビ・亀井派など)の反論は弱い。
 さて、問われるべきはわれわれ一般の国民だ。純粋な資本主義においては「世の中で一番偉いのは株主、つまり金持ちだということ。また、利益を追求することが正義なのだ」ということをしっかり認識しなければならない。その人物が礼儀正しいかどうか、他者をおもんばかる人格者かどうか、そんなものは問われない。古い構造へのいらだちのあまり、規制をどんどんなくし競争原理に走る気持ちもわからないではないが、その行く末には社会のどんな姿があるか、しっかり見定めなければならない。阪神は大変なチームを対戦相手に迎えた。
謝り方の美学(2)
 <ブログを始めて10日。我ながら堅くて地味で話題性に乏しい記事だから、見てくれる人なんかほとんどいないと思っていました。でも今アクセスカウンターを見てみると100を超す数字が出ているのです。相場からすればどうなんでしょう。きっと少ないのだと思いますが、私としてはとにかくうれしいです、大勢の人に読んでいただいて。これからもよろしくお願いします>
 前回の「謝り方の美学(1)」では、駒大苫小牧の前野球部監督のことに触れ、「潔く、堂々とみんなの前に出て謝ること」がまず大切と述べた。しかし考えてみれば、これまで役所・会社・団体などがお詫びの記者会見をする時も、その態度に言いようのない違和感と醜さを感じた人も少なくないのではないだろうか。まずなぜ形がワンパターンなのだろう。3人ほどの幹部が一斉に立ち上がって「・・・・申し訳ありませんでした」と頭を下げる。また「世間をお騒がせして申し訳ない」という言い方で焦点をぼかすことがある。世間を騒がせて悪いならイチローや宮里藍などはしょっちゅう謝らなければならない。はっきり「○○したこと(しなかったこと)が悪かった」と言わないのは、言いたくない理由があるはずだ。さらにここでも直接の当事者がいないことも多く、立場上の形式的な言葉を羅列していることも多い。本当に謝りたいのなら、記者団に追及される前に誠意と真心のこもった自分の言葉で、なぜそうなったのか、今どう思っているのかをしっかり語るべきだ。
 謝罪の言葉ではなかったが、山一証券社長の「社員は決して悪くありません。悪いのは私です」と号泣して叫んだ記者会見の場面が今でも鮮明に頭に残っている。率直な言葉を口から放出した珍しいケースだったからだ。形式的な謝罪は、被害や迷惑を受けた側の憤りや悲しみを増幅させるものでしかないが、逆に謝る中身をしっかりと認識した、誠実で心ある謝罪は美しいことさえあるのだ。謝り方に、その人間や組織の本質が表れる。
謝り方の美学(1)
 来春の選抜大会に直結する高校野球の秋季大会が各地区で始まっている。例の駒大苫小牧高も順当に勝ち進んでいるようだ。今またその夏の醜聞をむしかえして云々しようというのではない。高野連の処分も妥当と思える。しかし、この問題に関して何か、のどに小骨が刺さったままのような感じが残る。その原因は、この体罰事件の当事者である前野球部監督が、結局校長たちの陰に隠れたままだということにある。肝心な人の思いや考えがまったく明らかにされず、何ら伝わるものがないままなのだ。未成年者ならともかく、立派な大人であり、しかも教員という立場に照らしても、堂々とテレビカメラの前でものを言ってほしかった。それがたとえ「言い訳」や「釈明」であっても構わないし、もちろんその行為に対して心から非を認め、大いに悔いているならなおのこと、顔も見せ、生の声で語るべきではなかったか。今回の事件で失った彼の名誉を半分は取り戻せたかも知れないのに・・。  もし仮に校長が「君は表に出なくていい。わしにまかせておけ」と言ったとしても「ありがとうございます。でも僕は記者会見に出ます。いや、出なければいけないと思っています。僕自身がしたことですから」と返してほしかった。それにしてもスポーツマンシップとは何だろう。
阪神優勝と大阪嫌い
 もうそこを離れて40年経つが、私のふるさとは大阪である。が、私はプロフィルに書いたように阪神タイガースファンではない。だからいつも阪神の活躍や優勝騒ぎを冷めた目で見てしまう。阪神タイガースというチームに何の文句があるわけではないのだが、大阪人、さらに関西人がすべて阪神ファンであるかのような決めつけたメディアの報道のしかたは大変不愉快だ。 そして同時に「ああまたこれで大阪嫌いがふえた」とつらい気持ちになる。どういう根拠によるものかもう忘れてしまっているが、東京勤務の人が転勤を命じられた時、その行き先の主要都市の中で大阪が最も嫌われているらしい。残念ながら何となく分かる。実際に住んでみればそれほどのことはないのだが、メディアの中で誇張されたり、特定部分だけが取り上げられることによってつくられる悪しきイメージは、シャレでは済まない。「それが大阪や」と強気で開き直るのではなく時には「どう見られているか」にも関心を寄せたらどうだろう。都市そのものの経済的価値を下げることになりかねない。がさつで厚かましく恥知らず、という負のイメージの具体的な払拭作戦も必要ではないだろうか。


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