カジュアルしゃかい学
ものごとの是非を語るより、議論の交通整理を試みたい。世の中どうもかみ合わない、ポイントのずれた議論が多すぎるように思うので。
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1947年生まれ 公立中学校教員 50年来の千葉ロッテマリーンズ(元毎日オリオンズ)ファン

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謝り方の美学(2)
 <ブログを始めて10日。我ながら堅くて地味で話題性に乏しい記事だから、見てくれる人なんかほとんどいないと思っていました。でも今アクセスカウンターを見てみると100を超す数字が出ているのです。相場からすればどうなんでしょう。きっと少ないのだと思いますが、私としてはとにかくうれしいです、大勢の人に読んでいただいて。これからもよろしくお願いします>
 前回の「謝り方の美学(1)」では、駒大苫小牧の前野球部監督のことに触れ、「潔く、堂々とみんなの前に出て謝ること」がまず大切と述べた。しかし考えてみれば、これまで役所・会社・団体などがお詫びの記者会見をする時も、その態度に言いようのない違和感と醜さを感じた人も少なくないのではないだろうか。まずなぜ形がワンパターンなのだろう。3人ほどの幹部が一斉に立ち上がって「・・・・申し訳ありませんでした」と頭を下げる。また「世間をお騒がせして申し訳ない」という言い方で焦点をぼかすことがある。世間を騒がせて悪いならイチローや宮里藍などはしょっちゅう謝らなければならない。はっきり「○○したこと(しなかったこと)が悪かった」と言わないのは、言いたくない理由があるはずだ。さらにここでも直接の当事者がいないことも多く、立場上の形式的な言葉を羅列していることも多い。本当に謝りたいのなら、記者団に追及される前に誠意と真心のこもった自分の言葉で、なぜそうなったのか、今どう思っているのかをしっかり語るべきだ。
 謝罪の言葉ではなかったが、山一証券社長の「社員は決して悪くありません。悪いのは私です」と号泣して叫んだ記者会見の場面が今でも鮮明に頭に残っている。率直な言葉を口から放出した珍しいケースだったからだ。形式的な謝罪は、被害や迷惑を受けた側の憤りや悲しみを増幅させるものでしかないが、逆に謝る中身をしっかりと認識した、誠実で心ある謝罪は美しいことさえあるのだ。謝り方に、その人間や組織の本質が表れる。
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